パルマの中田さん

パルマ時代1
パルマは中田が来る前年はミクーをトップ下に据えてセリエA堂々4位だった。
それが中田がトップ下になってからめちゃくちゃに。まずはCL予備予選。相手は格下と言われていたリール。
しかしこのリール相手に中田のトップ下が全く通用せず。CL本戦を見事に逃す
シーズンはシーズンでチームは降格圏まで落ち込んでしまう。
パルマはアホのウリビエリを解任。ミクーに泣きを入れて彼を再びトップ下に戻す。
チームは当たり前のように再び機能し最終的に10位でフィニッシュ。
そんなミクーはこのあとブレーメンの背番号10のトップ下に君臨し
チームをマイスターシャーレ、CLベスト16へと導き
中田とは比べものにならないくらいの素晴らしい選手へとステップアップしたのだった。

パルマ時代2

ここまででトップ下として全盛期前のトッティ、ミクーに完敗。
そして翌年はプランデッリが降臨。
プランデッリが凄かったのは契約上の大人の事情で
どうしても使わざるを得ない中田の、
トップ下、ボランチで全く通用しないそんなヌカ田の
いわゆる「置場所」をチームを弱くすることなく編み出したところにあった。
名目上はチームのバランサー。ダイナミズムを産み出す右サイド。
しかし本音は「とにかく右サイドに張り付いてピストン運動を繰り返せ」
「絶対中には入るな、攻撃参加をするなとは言わないが
極力アドリアーノ、ムトゥの邪魔だけはするな」
普通サイドと言えばスピード、突破力、正確なクロスが求められるが
中田にそんなものはあるはずもなくプランデッリも重々承知だ。
そこまで苦心してどのポジションも通用しない中田の置場所を考えてくれた
そんな父のような名将の恩をなんと仇で返すようなプレーをする中田。
どんなに言い聞かせても中に入ろう、入ろうと暴挙に出る中田。
そんな中田を試合中、「中に入るな!」と怒鳴り散らしていたプランデッリ
幾度となく見て申し訳ない気持ちになったのを
今でも昨日の事のように思いだすのである。プランデッリ、本当に申し訳ない。
中田にかわって謝罪するとともに、その父親のような深い優しさに対して涙を禁じ得ない。
心から礼を言わざるを得ない。
「ありがとう」

パルマ時代2

ここまででトップ下として全盛期前のトッティ、ミクーに完敗。
そして翌年はプランデッリが降臨。
プランデッリが凄かったのは契約上の大人の事情で
どうしても使わざるを得ない中田の、
トップ下、ボランチで全く通用しないそんなヌカ田の
いわゆる「置場所」をチームを弱くすることなく編み出したところにあった。
名目上はチームのバランサー。ダイナミズムを産み出す右サイド。
しかし本音は「とにかく右サイドに張り付いてピストン運動を繰り返せ」
「絶対中には入るな、攻撃参加をするなとは言わないが
極力アドリアーノ、ムトゥの邪魔だけはするな」
普通サイドと言えばスピード、突破力、正確なクロスが求められるが
中田にそんなものはあるはずもなくプランデッリも重々承知だ。
そこまで苦心してどのポジションも通用しない中田の置場所を考えてくれた
そんな父のような名将の恩をなんと仇で返すようなプレーをする中田。
どんなに言い聞かせても中に入ろう、入ろうと暴挙に出る中田。
そんな中田を試合中、「中に入るな!」と怒鳴り散らしていたプランデッリ
幾度となく見て申し訳ない気持ちになったのを
今でも昨日の事のように思いだすのである。プランデッリ、本当に申し訳ない。
中田にかわって謝罪するとともに、その父親のような深い優しさに対して涙を禁じ得ない。
心から礼を言わざるを得ない。
「ありがとう」


パルマ時代3

そして、そんな右サイドも翌年若手のマルキオンニに奪われることに。
奪われるのも当然だ。マルキオンニは中田とは比べものにならないくらい
スピードがあり、ドリブルでサイドを切り裂き、正確なクロスも上げることが可能だからだ。
居場所を無くした中田、トップ下でもプランデッリが認めるモルフェオに完敗。
ここまででトップ下では全盛期前のトッティ、ミクー、モルフェオに完敗し
サイドではマルキオンニに完敗し、ボランチではバローネ以下の評価。
ミクーやモルフェオマルキオンニバローネ
歴代の選手の中ではいいとこ二流、
下手をすればそれ以下の扱いなのを考えれば
さらにモルフェオマルキオンニバローネクラスが
アズーリでは控えも怪しいことを考えれば
中田がどのレベル程度だったのか、おのずと答えが出てくるのである。
この時点で完全にメッキは剥がれてしまったのである。



■後述〜ボローニャフィレンツェ時代

結局中田は弱小チームがカウンター攻撃をする時にしかトップ下として通用しない
ということなのだ。つまりよく言って二流半〜三流だと思われる。
パルマ時代で解るようにビッグクラブどころか
中上位クラブのトップ下ですら全く通用しなかった。
パルマに移ってから最初のCL予備予選のリール戦で
そのことに気付いていた関係者も多いはず。
でも「会社が大きくなるには日本のマーケットを開拓することが不可欠。
そのためには中田を獲得するしかない、そのためなら移籍金33億なんて安い投資だ」
と、アジア進出を目論んだパルマラット経営陣の商業的な事情もあり
誰もそんなことは言えない、実力不足でも中田を使い続ける方針で突き進むしかなかったのだろう。
はっきり言えば足元の技術やアジリティ(狭いエリアでの対応能力、連携、
すばやさ、テクニック)が致命的に無い。
上位にいくにつれてカウンターをやるのは逆に相手になっていくわけで
ゴールに近い密集地帯でどれだけ出来るかが重要になってくる。
それが出来ない、通用しないのがパルマで完全にバレてしまった、ということ。


■後述〜ボローニャフィレンツェ時代2

そして「中田トップ下」の一番の理解者である弱小チームの名将マッツォーネすら
ボローニャではすでに中田をトップ下には据えなかったのである。
パルマでの結果を受け考えを変えたのかは解らないが
トップ下の評価としてはこの時はもうロカテッリにすら負ける形だったのだ。
中田はボローニャでは中盤の底だった。機能はしたにはしたが
やはり弱小チームでの機能に過ぎなかった。
そしてもはやトップ下ですらなかったのである。


そしてイタリア最後のフィオレンティーナでは
もう通用するしないの話以前にはじめから実力不足、ボロボロ。
チームは降格圏ラインへ。もはや弱小チームですら全く通用しなくなっていたのである。