中田選手 ジャパンマネー

中田と放映権バブルとの絡みをあらわす記事。

>それまでセリエAの放映権はリーグが一括管理・販売し、メディアへの露出量を基にクラブに分配していた。
>当然ACミランユベントスといった大手にお金は手厚く配られる。
>これに下位クラブが不満を持つようになった。
>「放映権収入が膨らんだのは日本選手を抱えた我々のおかげ。それが配分に反映されていない」と。
>この対立がもとでセリエAの放映権は今ではクラブが個別に売買する形になった。
(2006年4月12日/日本経済新聞朝刊)

上記記事にある、不満を持った下位クラブってのはもちろんペルージャ
で、セリエAが放映権をリーグ一括管理からチーム個別契約という方式に変更したのが1999年の夏。
それによってビッグマーケット日本からクラブに直接もたらされる放映権料の鍵を、一人で握るかたちとなった中田。

実は中田の弱小零細ペルージャでの1年半のうち、本当に活躍したのは1年目の前半だけ。
全て他人が獲得したPKを蹴って合計5得点が水増しされてはいるが、
実は各クラブとの対戦が2巡目、3巡目となった残りの1年間において
中田のPKを除く得点はたった1点のみ。それも確かFKだったはず。

そしてそんな微妙な選手と化した中田に、移籍金17億円の値が付き、
格上のローマに売られたのが、上記事情で放映権の管理がチーム個別契約に変わった直後の1999年末。

さらにローマにおいても中田は外国人序列最下位のベンチ外の選手だったにも関わらず、
なぜか移籍金だけは30億円にさらに膨らみ、10番を背負ってパルマに移籍したのが
まさに世界的な放映権バブルのピークで、日本でもスカパーとwowowに地上波まで加わった
放映権争奪戦が繰り広げられていた2001年の夏。

そしてその放映権バブルが、有料放送契約者が伸び悩み減少に転じたことで一気に崩壊し、
利益をもたらさなくなった3年後の2004年夏には、中田の移籍金は一気に1/10に萎んでいた。。。