アスリートビジネスの虚と実 第1回中田英寿 カネに変える男

彼が12年間のプロ選手時代に得た金は80億円とも100億円ともいわれ、ピーク時には年間15億円を稼いだとされている。

今年6月には内外のサッカー選手に自身も加わり、「+1 FOOTBALL MATCH」を開催、約6万3000人の大観衆を集めた。
テレビ局幹部は語る。「あれは引退後にヒデが一番やりたいと明言していたこと。
チャリティマッチがベストだが、事務所の意向でエキシビジョンにしたんですよ。」
だが、一部に慈善試合と報じたスポーツ紙があったばかりか、
チケットを買った観衆の多くもチャリティだと思いこんでいたようだ。

当の中田は、雑誌のインタビューで「1回のイベントで僕の真意は伝わらない。
むしろ、ビジネスとして試合を成功させることが大事」と反駁してみせた。
先の幹部は続けた。「中田の報酬は表向きはノーギャラですが、
プロデュース料として3000万が支払われたと聞いています。」

中田がプロになった頃に交際していた女性の知人は回顧する。
「彼女に、短足甲州訛りの悩みを打ち明けていました。
金勘定もちゃっかりしていて、彼女が家具を買いたいというと、
事務所名義の領収書をもらっておけと返事したそうです」

高校時代の彼と面識が深かった飲食店オーナーが語ってくれた。
「彼には未来しか眼中にない。甲府や韮崎の思い出なんて終わったことで、
振り返る必要ないんですよ」

彼ほどのヒーローが出れば、普通、銅像や記念館などができる。
ところが山梨にかようなものは皆無だ。
彼の幼い頃や親との日々に触れた資料も、報道管制が敷かれているように見あたらない。

「高校の古参OBがたまには帰ってこいと注文すると、ヒデが臆せずに言い返したんです

  • 『山梨に顔を出せば、サッカーが上手くなりますか?』と」

ファッショナブルでクール、インテリジェンスを備えたうえ、
世界のセレブリティと交遊する男という、ファンを魅了するイメージを作り上げてきた。
それもまた、本人は言わずもがな、事務所の強い意向によるものだ。
事務所、サニーサイドアップ(以下SSU)社長の次原は自著で言い放っている。
「この人物は自分のよきビジネスパートナーになると思った。」
「(中田のような)偏屈者をインテリに演出するのは、そんなに難しいことではありませんでした」
だが、次原とSSU、中田に対して、賞賛ばかりが罷り通ってるいるわけではない。
取材現場での衝突も数え切れない。ある雑誌記者は憤懣をあらわにした。
「最初こそ、選手の売り出しに頭を下げていたくせに、どんどん傲慢になってきました。
原稿や写真の事前チェックは当然、気に入らないと訂正を求め、
応じなければ取材拒否や提訴をちらつかせてきます。」
私も、中田の郷里で度重なる取材拒否を受けサニーサイドアップの徹底ぶりに驚いた。
彼らは、親類だけではなく、中田の出身校の教師にまで箝口令を敷いていた。
他の編集者はこう自嘲する。
「記事に抗議の電話をよこした直後、
別のSSUの担当がPRして欲しい商品があると猫なで声で連絡してくる。
腹が立つけど、記事がほしいから申し出に応じてしまう。」

SSUが掲げる「選手の権利を守る」の御旗は、
マスコミにとって過剰な報道規制、自社と選手の利益のみ優先で
取材側の事情を斟酌しない横暴としか映っていない。
いくらカッコをつけても、マネジメント家業は選手あっての賜物、
芸人の上前をはねるヤクザな水商売と変わらぬことを認識しておくべきだ。
だが「中田-次原-SSUの威光は今も根強い。
取材に応じてくれた人々は、ことごとく氏名を明らかにすることを躊躇した。

私には中田がアーノルド・シュワルツェネッガーに重なって仕方がない。
オーストラリアの官史の子は、渡米し、ボディビルで名をあげ映画へ転身、
やがて政界に躍り出てみせた。
スポーツや環境、身辺の人間を踏み台にして、願望の実現へ邁進してきた。

次のステージでは、ありのままの自分をさらけ出して欲しい。
書かれることを拒み、次原がコントロールしてきた事を自ら語り尽くす-
虚像を語り尽くすことで、成功を手にした若者の奇跡が、きっと新たな光を放つはずだ。

週刊現代 9/13号「アスリートビジネスの虚と実 第1回中田英寿 カネに変える男」より