ローマwww

中田珍者はなにかにつけて当時のローマのメンバーが凄い。トッティーが凄い。
そんなビッグクラブで活躍した中田が凄い。と言い張るが、
中田が移籍した1999-2000シーズンのローマは、ビッグクラブでもなんでもない。

バティもエメルソンもサムエルもまだ所属していなかったし、イタリア代表レギュラーも1人もいなかったはず。
当時の3強と比較すると大いに見劣りするメンバーで、格付けから言えばイタリア中堅上位。

中田はその中堅上位クラブに、クラブ毎の個別契約に変わってさらに高騰するバブル放映権と、
日本で巻き起こった海外サッカーブームを背景に、放映権やシャツセールス等の
マーケティングの思惑を大いに含んで移籍した選手。

中田のローマ移籍に際し、ポジション争いの強大なライバルとして日本で報道され定着してしまった、
トッティのトップ下でアンタッチャブルな大スターの王子様像は、実は日本のマスコミのでっちあげに近い。

だいたい大スターであるはずのトッティーのキャラクラーを、
中田のローマ移籍以前に正確に認識できていた日本人がいったい何%いたのかとw

単CHのWOWOWセリエAの放映権を持っていた頃は、ローマの試合が放送される機会なんて数少なかった。
ディレクTV→パーフェクTV→スカパーと流れたマルチCHも、当時は契約者数自体が全然少なかった。
さらにトッティーには地上派で中継されるWCや、ユーロといった代表での大舞台の経験もまったくなかった。
もちろんダイジェスト厨が沸くNET環境も全然整っていなかったw

逆に言えば情報が少ない分、バブルに群がって甘い汁を吸おうとするマスゴミ
誰かさんとその周辺が得意とする、完全な嘘まで交えて1のことを10以上に膨らませる情報操作が、
今よりも容易な時代だったということ。
で、実際のトッティーは、実はまだローマ地元のローカルスターに過ぎず、
イタリア代表でも呼ばれ始めて間もない控え選手だった。
クラブでのポジションも、FW(主にウイング)から、その時期トップ下のMFにコンバートされていただけで、
代表でもその後のローマでも2トップや1トップを張り、FWの点取り屋が本業の選手だと言ってもよく、
トップ下のアンタッチャブルでもなんでもなかった。さらに当時のトッティーの年棒は、ジャパンマネーのバックマージン的な意味合いも含んだ
中田の給与の半分程度だったとも言われており、昇給を求めてクラブと銭闘中で、
トッティーが吐いた中田のローマ加入が面白くない旨の発言は、その事情を背景としている。
ローマがビッグクラブに近い体裁を整えたのは、翼2000-2001の優勝シーズン。
放映権バブルと運営会社の上場によって潤沢となった資金を背景に、
上記のバティ、エメルソン、サムエルを獲得するなどイケイケの補強を行った時点から。

さらにトッティーも、シーズン前のユーロ2000でブレイクし、後付wで本物の大スターとなり、
守備の出来ない中田と組まされて、尻拭いに追われ低調だったボランチトンマージも、
中田がカペッロに見限られたことで足かせが外れて確変をおこし、イタリア代表レギュラー格に上りつめた。

で、長文で何がいいたいかまとめるとw、
中田は凄いメンバーの揃うビッグクラブのローマに移籍したのではなく、
実は層の薄いメンバーが故障しまくっていた中堅上位クラブのローマに、
その穴埋めとマーケティングでシーズン途中に移籍した選手だったということで、その翼シーズン、大型補強と既存戦力の底上げによって、ローマがビッグクラブに伍する戦力を整えると、
当然中田本人はベンチないしはベンチ外に弾かれ、当時ビッグ7と呼ばれた優勝争いのライバルとなる
重要な上位クラブ戦には、ただの1試合も先発させてもらえなかったという、
実はトッティーのライバルどころか、殆どエキストラレベルの脇役に過ぎない選手だったということ。
。 そもそもリーグランキングなんてペルージャのようなセリエ降格争いしてたクラブにはなんの関係もないことw